無職への意志

鉄の意志、鋼の強さで働きたくない。

暇潰しの才能

こんにちは、また派手にご無沙汰しています。

ブログを始めてから僅か3記事しか書いていないにも関わらず、1ヶ月近くも放置してしまっていました。「最初は人生を懸けるレベルでやる気まんまんだが、すぐに面倒になる」っていうのは今までの人生においてとてもよくあることでした。大学受験もそうですし、いくつか目指した資格や技能、職業もありましたが、大体全部そうでした。最初はやる気があるというのもタチが悪く、初期投資は惜しまずに後で全部無駄になります。最初に集めた情報くらいしか残りません。なので「ちょっとだけ詳しい」という分野が増えるだけで肝心な技術や深い知識が備わってる分野はほとんどない空虚な人間です。
唯一筋トレくらいでしょうか、継続できているのは。

まぁ、とはいえ飽きっぽいだけが原因でもなく、興味の幅が広いというのもありますね。

私はもう何年も…たぶん10年くらいでしょうか、「暇」という感情を抱いたことがほとんどありません。例外としては体調不良で何もする気がおきない、またはできないけど、寝ることもできないとき…とか、外出先の待ち時間でスマホの電池が切れてしまっているときくらいでしょうか。それくらい限定的な状況以外では暇を感じません。

だからTwitterで「休日やることなくて暇だー」みたいなツイートしているオタクがいたら同じオタクとしてちょっと理解できないですし、即座にオススメのアニメを何本か教えてあげたいですし、というかそもそも前に私がオススメしたアニメを見てからそういうことを言ってほしいと思ってしまいます。
(忙しいブラック社畜の人達は継続が必要な趣味やまとまった時間が必要な趣味を諦めるしかなく、貴重な休日が暇になるという悲しすぎる現象があるのはまだ分かりますが)

私も子供の頃は休日に家族と外出するでも友達と遊ぶでもなく家にいると退屈でしたし、1人でゲームしていてもイマイチ面白くなかったですが、今では1人でゲームをしたりネットを見るのも楽しいですし、見たいアニメも読みたい本もたくさんあります。筋トレもしないとですし、全然時間が足りないくらいです。
毎日やりたいことや習慣を消化したら気づいたら1日が終わり…1週間が経ち…1ヶ月が経ち…1年が経ち…といった具合です。

歳を取るとどんどん体感時間が短くなりますし(参照:ジャネーの法則)、また他者との繋がりをSNSに依存するようになったのも大きいですね。
私はTwitterやイベントで知り合った友達は多いです。実際に会ったことある人で今も交流がある人だけをカウントしても…ちょっと数えるのが面倒なくらいです。とはいえ私が地方在住なのもあって会うことは年に1回あるかないか、比較的頻繁に会ってる人でも年に数回です。学校生活で出会った人達とはほとんどすぐに疎遠になり、職場で出会った人達とも友人関係を築いたことは1度もありません。俗に言う「リア友」と呼べる友人は中学時代からの地元の友達たった1人だけです。そのリア友1人以外の人とは滅多に会えないため、結構えげつないほど毎日Twitterを見てしまいます。唯一の「友達との関わりの場」ですから。しかし、一応リストを活用したりしてできるだけ効率化していますが、このTwitterにかける時間はバカにできないと最近実感しました。

私は高校時代にもブログをやっていて、毎日更新していた時期もありました。今の感覚と状況から考えると、若い頃とは体感時間が違うとはいえ、どこにそんな時間があったのかと思いました。あの頃は学校に行って、空いた時間も今と変わらないくらいテレビを見て、ネットも見て、ゲームもやって…それでもブログも書けていた。違うのはTwitterだけ。そこで思ったのは意外とTwitterに時間を吸われているんだな…ということ。とはいえTwitterのおかげで得るものも多いのでやめられないですね。惰性というよりは習慣、完全に日々のルーティンになっています。

何だかまとまらなくなってきました。要は「体感時間が短い」に加えて「やりたいことや習慣が多すぎる」なんですよね。普通の人が暇潰しとして取り組むことも意欲を持って取り組んでしまっていたり、習慣にしてしまっている。
これはある意味普通とは違う才能でもあると思いますが、人生において重い足枷にもなっています。

というわけでまた気が向いたら更新します。ブログを書くのも「やりたいこと」や習慣にできるようになれたら良いなと自分でも思います。